錨屋窯(いかりやがま)は江戸時代より現在まで代々続く「大堀相馬焼」の窯元です。
製陶業以前は奥州相馬領大堀村(現在の浪江町大堀)にて宿屋を営んでおり、当時の相馬中村藩主が立ち寄られた際に「此の地に如何なる事があっても流される事なく留まれるように」と船の錨(碇)から「錨屋」の屋号を戴いたと伝わっております。
江戸中〜後期になると相馬焼の製造を問屋(現在の窯元)として開始。
創業者とされる山田御登七は旧新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)の二村製陶所より製陶の修行に訪れ、後に錨屋の養子となり錨屋窯の基礎を築きました。
創業より約330年、廃藩置県や戦争等、幾多の危機を乗り越え浪江町大堀で製陶業を営んでおりましたが、2011年の東日本大震災に起きた原発事故により福島県白河市に避難。
本当に多くの人達に励まされ、助けられ、2013年に大堀相馬焼作りを本格再開し現在に至りました。